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地名の由来
 

 

南北朝時代初め、この地は「岸」と呼ばれていました。1334年(建武元年)楠木正成一族の和田高家が、この「岸」に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田殿」と呼ばれるようになり、 「岸」の「和田」がなまり「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。

その時代、岸和田城は紀州根来寺を監視する重要な場所であり、根来寺壊滅後は小出秀政
(豊臣秀吉の叔父)が城主となりました。小出氏は五層の天守閣を築き、その後江戸時代に入り、松平氏を経て岡部家が入城。以後、岡部家が十三代続き、明治維新を迎えることとなりました。

ト ピ ッ ク ス

現在の天守閣から見た景観は、二の丸広場より西方の眺めが美しく、古い町並みが多く残っています。岸和田市は幸いながら、空襲にあっていない町なので、城周辺の町並みを歩いてみると、細く入り組んだ小路が多く、城下町の風情を漂わせています。
最近ではめっきり少なくなってしまいましたが、昔の長屋も残っており、神社や文化財を含め、町全体に歴史を感じさせてくれる素敵なところです。

1954(昭和29)に岩出建設株式会社(本社:岸和田市並松町)が、現在の天守閣(模擬)を建てましたが、会社の中でも、当時の施工を語れる人も少なくなってしまいました。
城復興にまつわる品物として、岩出建設の岸和田城資料室には、天守閣にある鯱(シャチホコ)のミニチュアや当時の施工図面・写真・パンフレットなどが多数保存されてあります。
また、岸和田城内の郷土資料室にも、当時地鎮祭で使用した木管が保管されています。

摂河泉文庫・南川氏(貝塚市)も、46年前の城復興時の貴重な資料を保管されており、当ホームページ作成時にもアドバイスや情報を提供して頂きました。

(現在、南川氏は大阪府の国登録文化財や古い町並み保存に貢献されています。)

 

岸和田城空撮