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祭りと文化
 
 
       
  建武中興
(1333〜1335)
1334年 摂河泉守護楠正成の代官和田高家が、照日山付近に城を築く。
       
  室町時代
(1336〜1573)
1382年 楠・和田一族を討った功により、山名氏清が和泉守護となる。
信濃秦義を岸和田城に配置する。この頃、現在地に築城。
     1408年 細川頼長、和泉南半国守護となり岸和田城主となる。以後七代約130年間、
細川氏の支配となる。
    1548年  三好長慶、京都にて細川家との戦いに勝利を収め、所領を奪い、弟・安宅木冬康、
十河一存を岸和田城に置く。
    1559年 根来寺一向宗徒、岸和田城に攻め入る。
    1562年 畠山高政、岸和田城に迫る。(久米田山の戦)この戦にて、久米田寺・岡山御坊
が焼失する。
安宅木冬康、城を開き渡す。
    1570年 織田信長、岸和田城に寺田又右衛門・松浦安太夫・堀久太郎らを、置く。
       
  安土桃山時代
(1573〜1603)
1583年  豊臣秀吉、家臣中村一氏を岸和田城に置き、根来雑賀の押さえとする。
    1585年 秀吉、根来・雑賀を平定し、泉州を勢力下とする。 この戦にて岸和田は戦災を受け、神社・寺院等多数焼亡する。
秀吉、小出秀政を岸和田城主とする。(四千石)
    1587年 小出秀政、六千石扶助となる。岸和田城の城郭の整備にかかる。
    1595年 小出秀政、三万石の大名となる。岸和田城天守閣の造営に着手する。
       
  江戸時代
(1602〜1868)
1604年 小出秀政、死去。長子の吉政、城主となる。
    1613年 小出吉政、死去。長子の吉英、城主となる。
    1619年 小出吉英、但馬出石に移る。 松平康重、岸和田城主となる。
    1623年 紀州街道の整備を終える。
堺口門・内町門・天馬口門や一里塚の整備もされた。
又、伏見城の解体により、櫓や門などを二の丸の北角に移し、
三層の伏見櫓を造った。
    1631年 松平康重、六万石の岸和田藩主となる。
    1640年 松平康重、死去。長子の康映、跡を継ぐ。 康映、播磨山崎に転封。
岡部宣勝、藩主となる。
    1661年 岡部行隆、藩主となる。 以後、岸和田藩は五万三千石で明治に至る。
    1675年 本丸・二の丸・三の丸の石垣の修理。
    1700年 城内に三の丸稲荷社を建立。
稲荷祭を初めて行う。現在も行われている『だんじり祭』の始まりとなる。
    1785年 北町、大津から古い地車を借りたが、大きすぎて、大手門が通れない為、
杉丸太で柱を造り替え、城内に入った。
(これが現在の地車の前身と言われています。)
江戸時代だんじり祭は6月・8月・9月と年3回行われていた。
    1827年 天守閣落雷にて、焼失。
       
  明治時代
(1868〜1912)
1869年 版籍奉還。岸和田藩庁に藩知事を置く。 岡部長織、任命される。
       
  昭和時代
(1926〜1989)
1954年 岸和田城天守閣再建
    1955年 岸和田城天守閣に市立図書館児童閲覧室開室。
     
平成時代
(1989〜  )
1992年 岸和田城平成の大改修